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川谷地域は東北地方の最南端に位置する福島県西郷村にあります。西郷村は、2021年度全国優秀自治体ランキング1位を獲得する等、今注目のエリアです。日本で唯一新幹線の停まる村であり、東京から新幹線で約70分程、新幹線が停まる「新白河駅」、東北自動車道「白河インターチェンジ」から車で約15分と交通の便が非常に良く、首都圏からの観光地として人気の那須高原、会津エリア、商業施設の多い白河市にも隣接していおり、観光にも移住地としてもちょうど良い距離感です。川谷地域には絶景を望む雪割橋、質の高い温泉として評価が高い「秘湯甲子温泉」等の観光地も充実しています。産業ではジャガイモ栽培、酪農も盛んであり、知る人ぞ知る魅力あふれた秘密の高原です。
開拓地としての歴史もあり地域全体が「拓魂 Frontier Spirit」をコンセプトに先祖からの想いを大切にしながらも未来に繋がる挑戦を続けています。
「開拓の地 川谷」
川谷地区は,西郷村立川谷小学校・中学校の通学区域を指しています。標高は約560m.酪農とジャガイモ等の農業,甲子温泉・新甲子温泉による観光業などがあります。戦後開拓地として,第 2 次世界大戦後に入植した住民とその子孫が主要な 地域の構成員になっています。川谷地域は,冷涼な気候と 地力の低い火山灰土壌であることを背景に、軍馬 の育成を目的とする粗放な土地利用がなされていましたが、第 2 次世界大戦が終結すると、開拓が企図され、1945 年 10 月から入植、「白河報徳農業協同 組合 」を組織し、それまで粗放な土地利用がなされていた土地を農地として開拓しました。川谷地区の 特徴は,入植・営農を指揮した加藤完治とその教え子達(県外出身の 20 代男性達)が中心になって日本国内での開拓・食糧増産の優れたモデルをつくろうと「全国の軍馬補充部跡地の中で,もっとも耕作条件が悪く,誰もが希望しない土地」 であるこの川谷地域を選び開拓を行いました。また、川谷地区内で も由井ヶ原地区は,ルーツが異なり国鉄食糧増産本部の直轄農場と して開拓が開始された土地です。由井ヶ原地区の農協は 1955 年 に川谷地区と合併した。開拓が開始されてから約 80年以上が経過した現在であっても、川谷地区は開拓地として認識 されており,その地域の象徴として「開拓」という 言葉が用いられています。川谷小学校・川谷中学校の校庭前には開拓記念碑があり、学校の運動着には「拓魂 Frontier Spirit」と記されています。
時を超えてもなお川谷拓魂の精神が受け継がれています。川谷地区に設置されていた白河報徳農業協同組合販売所は農作物の販売、地域住民の交流の場として地区の中心的役割を担ってきたが、閉鎖されました。2023年3月。川谷地区の交流の場、発信の場を再び創り上げようと同志が結成し、川谷マルシェを発足しました。